この人に聞く!vol.29 小原流山梨支部 砂田 鵬華先生
砂田 鵬華先生
1983年9月小原流入門
2003年5月一級家元教授取得
2001年から幹部となり、2012年から2023年まで12年間支部長をされていました。
2024年からは小原流監事と山梨県県連会長に就任し支部の参与もされています。
現在も支部のお仕事をされながら、4つの学校と3つのサークルでご指導されている、明るくて魅力いっぱいの砂田先生をご紹介します。

小原流との出会い
・先生といけばなの出会いについてお聞かせください。
18歳の時に小原流を習い始めました。19歳に准教授を取得して、20歳には高校でお花を教え始めたんです。
盛岡支部に入ったのもその頃です。
お花を始めたのは、たまたま公民館に行って草月流と小原流と他にもあったんですが、近所の人が小原流に入っていたので小原流に入門しました。盛岡支部では小原宏華先生の社中でした。准教授になったばかりの私を高校に推薦してくださったのですが、その時の経験が今の私をつくっているのだと思います。
40分の授業でしたが、毎週授業の原稿と計画書を書いて指導に行っていたので、とてもいい勉強になりました。
商社に就職したのですが、面接でいけばなを高校で教えているということは、とても高く評価していただきました。お花を教えるまでになったということは、もちろんご自身が努力されたのでしょうが、ご両親があなたに愛情とお金を余分にかけてくれていたのは、これだけでも分かりますと言われました。
何百倍と高い倍率だった商社に就職出来たことは、小原流のおかげだと感謝しています。
結婚して引っ越し、盛岡支部から山梨支部になりました。
・山梨支部に移られてからすぐにいけばなをご指導されたのでしょうか。
結婚して少しブランクがありましたけど、子供が通っている幼稚園の先生から、全国どこにでも通用する生け花を教えて欲しいと、園に私を推薦してくれました。
当時他流派の方が指導されていたのですが、全国に転勤される方々がいらっしゃる幼稚園でしたので、全国どこに転勤されても続けられるからと小原流に変えてくださったんです。
それが山梨で教えるきっかけとなり、現在もその幼稚園で教えています。
出稽古
・先生はどのように生徒さんを増やしていかれたのでしょうか。
最初は一軒一軒皆さんのご自宅に訪問して稽古をしていました。
県民性でしょうかね。皆さんご一緒にっていうのはなかなか難しい県民気質と言いますか、お稽古事は先生に自宅に来てもらって習うというのが一般的でした。
私自身がお稽古で関先生のご自宅にお稽古行くことが、 主人の母には理解できなくて、なんで行くの。という感じでした。だから、ここではお稽古は自宅に来ていただいてするというのが普通なんだと理解できましたので、自分が生徒さんのご自宅にお稽古に行くのも、苦と思わずにやってこれました。
渡辺支部長は私の社中なのですが、最初はお子様2人を出稽古していたんです。お子様は成長とともに忙しくなって休会状態になったのですが、お父様がはまってくださってくださいました。もう25年くらいかな、長い付き合いですね。
お花をいけても他の方と比べられるのは嫌という雰囲気で、最初はお教室に来てくださる方は少なかったんです。バス旅行を企画したり花展をみんなで見に行ったりして、みんなお互いにどんな人か分かってきまして、10数年前くらいに、『人と比べられるのは嫌。』じゃなくて、人のいけたものと自分のいけたものを比較して、いいところを見て勉強していただけるような環境 になりました。今も出稽古をしているところもありますが、ほとんどの方はお教室に来ていただけるようになりました。
私のしあわせ時間
・テレビに出られたとお聞きしました。
日本生命の『私の幸福(しあわせ)時間』です。2023年の山梨編に出演させていただきました。
この人はこういうことを趣味にして、ほっとした時間を持ってますよっていう内容です。
こちらを見た方から沢山反響がありました。小原流を紹介出来て良かったと思います。
いけばな競技会
今はオンラインになりましたが、青山でいけばな競技会を開催していたときに、私の指導していた学校が出場したんです。バスを借り切ってみんなで青山の小原流会館に行きました。
初めて自分の目でお家元を拝見して、もうね、雲の上の人を見れたと喜びがすごかったです。親御さんたちにも『お家元に会えた』ということが、続けていく価値のあるものだと判断していただけたようでした。その体験をした子たちは今30歳前後ですが、みなさん続けていらっしゃいます。
1人は航空自衛隊のパイロットになって富山の小松基地にいるのですが、コードネームは『ケンザン』ですって。素敵でしょう。
お家元に会えるという体験は、子供たちにとって記憶に残る素晴らしい体験です。そのような機会をまた設けて欲しいと思います。
小原流を続けていく
小原流を選んだ自分のラッキーさと、続けてこれたラッキーさに感謝しています。
今は若い方たちに少しずつ生徒さんをお任せしていくようにして、後進の育成に尽力しています。
とにかく教えることが1番の勉強になりますね。教えるようになったらもうその子たちはやめません。もう申請しなくてもいいかなと言っていた子も、教える子たちに責任が出てくるから進級しますって言い出すの。 やっぱり私自身がそう思って今までやってきましたし、皆さんもそうですね。やっぱり、舞台を作ってあげるとそれにあったようにみんな育つんだなと思います。
私の主人の母が、外からお嫁に来て1人ぼっちで寂しい老後だったらなと思っていたけど、大丈夫だなって安心したって言われて。(笑)人が訪ねて来てくれる人生を作ってるのは素晴らしいねって言ってくれました。
これからも小原流を広めていくことが出来るように活動を続けていこうと思います。